武州鉄道の痕跡を訪ねて-@-武州大門〜笹久保-2006/6/22
 大正末期から昭和初期に走っていた武州鉄道の痕跡を訪ねてみました。武州鉄道は、わずか14年の営業で廃線となった幻の鉄道として有名のようです。3回の延伸の末、蓮田から川口まで結ばれました。経過は、蓮田〜岩槻, 岩槻〜武州大門, 武州大門(浦和美園相当)〜神根(現在の川口)と南下の延伸であった為、乗客数が増えなかったと分析されています。もし、現SRのように赤羽方面より北上して延伸していれば、廃線にはならず、現在は東京への大動脈となっていただろうと言われています。 約70年の時間が経過して、かつての武州鉄道の構想であった路線、赤羽〜浦和美園〜岩槻〜蓮田〜菖蒲〜羽生(または熊谷)への実現は、SRによってかなうのでしょうか。 今回、MISONO-WEBに掲載された武州鉄道についての記述を再現させていただきました。この場で感謝の意を表明致します。
撮影地点A
 大門交差店近辺に、武州大門駅が存在していたそうです。その当時より営業していた駅前食堂が、現「あいだや」とのことです。
撮影地点B
 武州野田駅に通じる駅前通りの完成に建てられた記念碑です。この記念碑は、、「重殿社」(じゅうどのしゃ)と呼ばれる神社の敷地内にあります。
撮影地点B
 石碑の裏側には、道路工事の経緯や関係者の名前が彫り込まれており、昭和3年12月に駅が開業したのを受け、翌昭和4年3月17日に起工、4月25日に完成したとの記述があります。
撮影地点C
 自動車用品店「オートウェーブ」の細長い駐車場が線路跡だそうです。国道122号線沿いからカーブして、笹久保方面へ進路を変えていたようです。
撮影地点D
 伝右川という小さな川が流れていて、ここに武州鉄道の橋台の一部が残されています。武州鉄道の遺構が残る数少ない貴重な場所です。
撮影地点E
 線路は綾瀬川を渡っていたばずです。しかしこの部分は、既に護岸工事等によって手が入れられており、遺構らしきものはありません。唯一向こう岸の細長い舗装した駐車場が線路跡と思われ、カメラ位置に橋梁があったことを推測できます。
撮影地点F
 線路跡が細長い駐車場として利用されています。
撮影地点G
 県道との交点付近が「笹久保」駅が存在していた場所のようです。現在バス停として「笹久保新田」があり、かつての武州鉄道の駅が存在したことを暗示させます。
撮影地点G
 線路跡が細長い駐車場として利用されています。